多事多難は人生の華、ということばを知ったのはいつ頃だっただろう。 まだ若く、小さな子供二人と母子家庭を張り始めたころだ。 辛くて辛くて、でも、そのつらさの正体がわからなくて顔で笑って、心で泣いて、ひたすら子供と遊び、掃除、洗濯、食事づくりに明け暮れていたころだ。
郵便局の近くに大きな味噌樽を利用して店舗の一部にした小さなお団子屋さんがあった。団子を焼いていたのは、70代半ばか、80歳前後のやもめ暮らしのおじいさんであった。散歩の途中、子供にせがまれて良くお団子を買った。なかなかの人生経験の持ち主で、話し好き、狭い店の中の壁には自分で撮った写真や、女性歌手のポスターなどがたくさん貼ってあった。くだんの言葉は色紙に書かれて貼ってあった。
おじいさんはなかなかの女好きで、しゃれ者、粋な感じの人であったが、信仰心の厚い硬骨の一面も併せ持つ人であった。亡くなった、かなり年下の恋女房の供養に、故人の残した着物を使って小さな草履を沢山作っては人にあげていた。誰に請われたのでもなく、一人、原爆投下後の広島に行き、沢山の遺体を片付け、弔った、という、話も聞いた。そんな団子屋のおじいさんの人生を人生を象徴するような品々が無秩序に飾られた壁の一角にあった色紙。生きているからこそ、大変なことがある、死んでしまったら、なにも感じることはない。いろいろあるのは生きている証拠。と。それから、かなり長い間、多事多難は人生の華、は私の座右の銘となった。
今では、この言葉はすっかり忘れていたが、若い女性と話して居て、ふと思い出した。明るく華やいだ雰囲気のある彼女にはいわゆる心の病があるが、そのような片りんを感じさせるところは全くない。優しい夫もいる。狭いマニアックな世界ではあるが、趣味を通じた友人もいる、豊かな内的世界の持ち主で、心は外的生活に積極的に向かい始めている。 「人といると自然に明るく振舞ってしまうので、誰もが私を明るい人だと思っているけれど・・・ 反動で一人になるとどっと疲れるんです・・・」 車の中での短い会話、明るく挨拶して駅で別れた。がんばってるね。多事多難は人生の華。いろいろ経験していくうち、繰り返し現れてくる大変なことというのも、一つの課題のバリエーションだと言うことが見えてくる。慣れだよね、人にも慣れてくるよ、そのうち・・・貴女は明るい人なんだよ、と心の中でクスリ、と笑う。ゆっくりお休みくださいね、と言って駅の階段に向かう後姿を見送った。
多事多難は人生の華、だった、と老婆になった私は今、思う。これから、ひと花ふた花、咲かせてるみるか!