サフランとの出会い

薬草に興味があったこともあり、バラを薬草としてみるようになって、サフランに出会いました。いろいろ調べていくうち、サフランはとても育てやすいと言うことがわかりました。そして日本の産地では大分県竹田市が生産のほとんどを占め、世界に例をみない独自の栽培法が100年前から行なわれていることを知り、びっくり、なんとなんと、あろうことか私は竹田市生まれ、これはもう運命とばかりに感激して、すぐにサフラン栽培に突入した次第です。

 

JA大分から購入した球根は、段ボール箱3個分。北向きの6畳の部屋いっぱいに並べて、ワクワクして開花を待ちました。やがて芽が出て、花が咲き、めしべを収穫、初めて作ったスパイスは70g近く。出来上がったのは、お茶にして飲んだり、お料理に使うほか、いろんな方にプレゼントしています。今年は市内の3つのレストラン、インド料理2店舗と、スペイン料理のお店1店舗にも差し上げて出来具合を見てもらいました。高評価で大いに気を良くしています。さらに栽培意欲を掻き立てられました。精進します。 

写真は畑に咲いたサフランの花。サツマイモの葉陰で

 R4年11月

室内で栽培しています。

R4年、5月、畑から掘りあげた球根。ざっと計算して大、中、小合わせて3000個くらい?

13g以下の球根は8月末に畑に植えました。右側の列は30g以上40g前後の大きな球根

25g前後が最多の室内栽培用の球根。

大、中、小サイズ別に並べて、約1500個くらい

暗室にして放置。10月、気が付くと芽がでていました。10月下旬でこれくらい

11月中旬、つぼみが出ました。すっと伸びた茎の先に薄青紫の可愛いつぼみ

あっという間に満開です!

部屋中良い香り。花は1日で凋みます。早朝に収穫します。




花を摘みました。一つの球根から1~4輪咲きます。

 

 

 

雌しべと花びらの割合を                                                                                                                                                                                                                                        洗濯ばさみで比較。

生の花びら、と雌しべ、雄しべの割合、まだ乾燥前です。

 

完成したスパイス。雌しべ採取後、紫外線に当てず、すぐに乾燥させます。

お湯を注いでお茶に。たった2本でこんなに色がでました。高品質です。万歳!

新メニュー

ウクライナご飯。サフランとバタフライピーを使ってウクライナ国旗を表現。



5月のゴールデンウイークの頃、球根を掘りあげます。室内栽培では小さな球根は花が咲かないので、私は13g 以下の球根は8月末頃に畑に植えます。翌年の初夏、掘りあげる頃には大きくなっていることを期待して。

室内栽培用の球根はケースに並べて暗室に置きます。秋を迎える頃、芽が出て寒くなると花が咲きます。部屋が暖かかったり、明るいと花は咲いてくれません。花は雌しべが劣化しないように開花直前のつぼみのうちに摘みます。花を摘んだ後は直ぐに雌しべを取り外し、乾燥です。質の良いスパイスにするため、紫外線に当てず, 中温から高温の乾燥機で短時間で完成させます。

 

12月中旬、めしべを収穫した後の球根は畑に。この時、大きな球根を作るために球根から出たわき芽はぽきぽき折ってしまいます。畑は緑色の線状の葉が一面に広がります。道行く人は、ネギだと思っている人も多く、これは何ですか?と良く聞かれたりします。

 

翌年5月、葉が枯れたころ球根を堀り上げます。12月に植えた球根は翌年にはおよそ倍以上の数に増えています。8月に植えた球根も掘り上げます。

 

この作業を繰り返すのが私が行っている方法です。ちなみに竹田市では畑ではなく水田に植えています。

サフラン室内栽培の歴史/竹田式

サフランは地中海原産(イランともいわれています)で秋に花を咲かせる多年草のアヤメ科の植物です。 3500年以上前から栽培されています。種子をつけないので、球根による人工繁殖で世界に広がりました。日本へは江戸時代に薬として伝わり、栽培は明治時代(1886年)神奈川県で始まり、1897年には、商品化され、輸出もされるようにもなりました。竹田市で栽培されるようになったのは1903年から。休眠期に入り、田植え前の田んぼから掘りあげた球根を暗室に置き、開花、めしべ収穫までを室内で行い、その後、球根を、また、冬の田んぼに戻して植え、成長させるという、世界に例をみない独特の方法が行われ、今に続いています。サフランは乾燥を好むので、降雨量の多い場所では露地植えの栽培はうまくいかないことがきっかけとなって生み出された方法でした。室内栽培により、品質が良く、日本のサフランの生産量の8-9割を竹田市が占めています。

現在、多くの国々でサフランの室内栽培が試みられています。その数はまだ少ないものの革新的な栽培方法として、実施され、温度、湿度、光を人工的に調節した広い屋内で、まるで工場生産するようにサフランが栽培されています。

室内栽培自体は100年ほど前に竹田市で行われたのが最初で、それまではどこの国も露地栽培でしたから、今、世界で行われているハイテク室内栽培の原型はまさに日本の、竹田式にあるといえるでしょう。 地方の農家で行われていた独自の栽培方法 しかもそれは偶然のことからはじまっているのですが、により、サフランの室内栽培が可能であることが世界に知られ、自然環境の変化などによる収量の減少や生産効率性の問題を解決する方法として注目を浴びたのです。竹田式はサフラン栽培の歴史に大変化をもたらした。まさにエポックメイキング!世間には知られていないこのことに気づいて私は感動しました。


イランの室内栽培

中国の室内栽培




竹田式 世界へ

ちなみに竹田式が世界に広まったことを裏付けるようないくつかの文献をネット上に発見しましたので、ご紹介します。

 

gruloda 

サフランのソイルフリー栽培(土を使わない栽培)を最初に行ったのは中国で、始めた人の名前は Zhaoji だとありました。Zhaojiについて調べてみましたが、彼についての情報をみつけることはできませんでした。事実かどうかはわかりません。それで中国のサフラン栽培の歴史、と検索。

Chinease Medicine and Culture

 に発表された長い論文を見つけましたが、そこにはこのような記述がありました。原文を転載します。

Historically, China relied on imported saffron for centuries until the 20th century. In 1965, a Chinese herbal medicine company attempted to plant a batch of saffron corms from West Germany in some open fields located in Shanghai, Hangzhou, Qingdao, Nanjing, and Sichuan.[34] Unfortunately, the corms degenerated and the effort to introduce saffron eventually failed. Later, in 1979, a Shanghai medicinal materials company imported 0.5 tons of saffron corms from Japan and successfully planted them in Ma Qiao town of Shanghai by combining the technology of cultivating corms in open fields with indoor flowering. From 1980, saffron corms were continuously imported from Japan, and 1.674 kg of saffron was harvested in China in that year and increased by 80% in 1981. Between 1981 and 1983, 36 tons of saffron corms were imported from Japan, and advancements in cultivation technology expanded the scale of production. China eventually began to export saffron from 1987.[35]

 

20世紀まで中国は長い間サフランを輸入にたよっていた。1965年、薬草医学会社が西ドイツから球根を取り寄せ栽培を試みたが、失敗した。1979年に、医薬原料会社が日本から0.5トンの球根を輸入し、地植えで球根を育てることと室内で花を咲かせることを組み合わせた栽培方法を成功させた。日本からは球根を輸入し続け、1980年には1.674kgの収穫があり、翌年はその8割増しの収穫があった。1981年から1983年の間に日本から輸入したサフランは36トン、栽培技術の向上によって生産は拡大し、1987年からは、中国はサフランを輸出するまでになった。

 

この記述から中国は最初西ドイツから球根を取り寄せ栽培していますが、西ドイツ式の栽培はうまくいかなかったことがわかります。それで次には日本から球根を輸入しています。中国側はいろいろ調べて、高品質のサフランを産出している日本に注目したのでしょう。球根を日本から輸入したということは、西ドイツ式から日本式へ栽培方法を方向変換した、ということで、当然、日本の技術指導が入ります。そうとは表現されていないものの、何らかの日本の支援で室内栽培を成功させたことがわかります。日本からは3年以上球根を輸入し続けていますから、技術指導も、その間続いたはずです。私は竹田式、の技術指導がおこなわれたのだ、と直感したので、その証拠を求めさらにネットで調べ漢方薬の栃本天海堂さんのHPにたどり着きました。

 

本天海堂さんのHPサフランの項にはこのような記述があります。 

サフランの栽培には、路地栽培と室内栽培の2つの方法があります。スペインなど海外では、一般的に花が咲く前に畑に球根を植え、畑で花を咲かせる路地栽培が主流です。しかし、竹田市では室内で花を咲かせる室内栽培が行われています。この栽培方法は日本独自の栽培方法で、花を咲かせる球根を選択して大きなめしべをつけるサフランを栽培します。サフランは一つの花に3本のめしべができますが、めしべの根元部分は黄色く、良品のサフランはこの部分を取り除くからです。このように室内で花を咲かせるため、異物混入や植物の病気も少なく、サフランの品質は大変良い物が出来上がります。近年、この栽培方法と球根が中国にわたり、中国産サフランも輸入されるようになりました。

 

これで、はっきりと、中国に指導した技術というのが、竹田式であることがわかりました。grulodaによると室内栽培は中国で始まった、とあり、中国人の書いた中国のサフラン栽培の歴史の論文の中では、日本の技術指導により、中国は室内栽培に成功し、輸出できるまでになった、とありますから、これはもうやはり、元祖は日本であること間違いなしです。(grulodaの記述、初めてサフランのsoil free栽培を始めたのは中国、というのは誤り、ということですね。)室内栽培は日本から中国へ伝わり、本場イランやアフガニスタン、アメリカなどでも大規模室内栽培が始まったのでしょう。 大規模室内栽培はまだ一般的ではありませんが、室内栽培自体は今後さらに増えていくことでしょう。それにより、サフランも手に入れやすい価格にまで下がるかもしれません。 あるいは設備のコストがかかるので依然として高価なスパイスであることには変わりないのかも、サフランの未来は栽培を始めて年数の浅い私には、わかりません。

元祖竹田市では生産者の高齢化が進み、生産農家は減少しているようです。 ぜひとも若い人の参入が期待されます。 若くもなく、竹田市在住でもない私ですが、多少、竹田市に縁とゆかりを持つ身です。これからもサフラン栽培を続け、竹田出身狭山育ちのサフランを大きくしていきたい、と思います。 狭山市においても農業後継者は減少、耕作放棄地が目立ちます。サフランを育てる人が増えるといいな、と思います。 ちなみに隣の市の鶴ヶ島市では、サフラン栽培が町おこしに使われ、竹田出身鶴ヶ島育ちのサフランは商品化されています。狭山市のサフランも後に続けたらいいなあ、と思っています。

 

 

サフランの効能


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